昭和18年8月21日に田中進とたまえの間に長男として、岐阜県養老町に生まれる。 |
法一10歳の時に父を病気で亡くす。 |
身体の弱かった母、幼い弟、妹のために、好きな野球やスポーツを辞め、 新聞配達や田んぼ、畑仕事をし生計を立てるが、貧しくとても辛い生活をしていた。 |
弟の病気を切っ掛けに、医療の道に進みたいと思うが学歴のない法一は、自分の学歴でも行ける鍼灸の道へ行くことを決断した。 |
名古屋鍼灸専門学校に入学。 |
昭和39年12月に妻・正子と結婚を期に独立開業。当時は診療所を構えることも出来ず、往診専門でセントラルたなか鍼灸院(当時は田中鍼灸院)が始まった。 |
昭和40年に10月長男を授かった。 |
昭和44年9月に次男、喜浩を授かった。現在のセントラルたなか鍼灸院の院長。 |
昭和46年8月に三男、道人を授かった。 |
昭和47年に中国訪問帰国後に「頭鍼療法研究会」を発足 |
昭和53年に現在の昭和区楽園町にセントラルたなか鍼灸院を開業。 |
平成28年2月末に体調不良のため、病院に行き検査を受けたらステージ4の末期の胃癌が発見された。余命3ヶ月の宣告を受ける。セカンドオピニオンも受けるが同じ答え。余生をどう生きるかを考えて欲しいと言われるも不屈な精神と抗がん剤、喜浩(現院長)の鍼灸治療を受け、入院・休養2ヶ月後に現場復帰。 |
平成29年5月に腹痛(腸閉塞)で再度、入院。 |
平成29年7月10日に朝、生涯現役を貫き安らかに眠りにつきました。 |
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